(写真は今年の盆休みに撮ったもの)
このひと月は会社の方の仕事が忙しくて、げっそりしたまま家に帰りビールをあおって寝るだけの毎日だった。とは言ってもいつもと違い、なんばを経由する通勤だったのでスキを見てレイトショーに通い映画を観ていた。「ベイビー・ドライバー」「エル」「三度目の殺人」「オン・ザ・ミルキー・ロード」を観た。「〜ミルキ・ロード」はビールを買うと50円キャッシュバックだったので嬉しかった。クストリッツァ監督の計らいだと思いたい。
それぞれの感想を書くのはしんどいので省くけれど、この中だと「エル」が一番面白かった。どれだけドライでヘビーでも笑える作りのものがいい。
あと、DVDで黒沢清の「CURE」を観た。いまやってる「散歩する侵略者」に行きたいのだけど、どうも時間がとれず代わりに観た。萩原聖人の演じるキャラクターが記憶障害ということで、言った側から話を忘れる男で、観ててすごくイライラした。最後まで見ると物語の構造的にそれも演出なのか〜と思うので、すげえ(萩原聖人はイラつくやりとりをしながら話す相手に催眠をかけて殺意を解放していく、っていうネタ。つまり観客に対しても同じ作用が?)。
話は変わって、自作「エンディングテーマ」について。作品にどういう意図とかは自分からあまり言う必要はないし、「解説」で十分語られているので、読んでくれた方にボーナストラックという感じで、制作のウラ話を。
「エンディングテーマ」内でイルな存在感を放った竹田について。彼には特にモデルとかはなくて、「自分の知識を若い人に得意げに語りたがる中年」というイメージのキャラクターです。そうやってうっとうしく語るシーンを描いたのですが、うっとうしすぎてカットしています。
彼の見せ場は、屋上でサックスを吹きまくるシーンだと思っていますが、描いてて難しいシーンでした。彼はジャスバンドを組んでいる設定なんですが、作者の僕がジャスを全然聴かないのでイメージできない。友人が大学のジャズ研にいてサックスを吹いていた、ぐらいの関わりしかなくて(しかもその友人は関東で暮らしてて交流がない)、どうしたものかと話を作っていざ絵にする段階で途方に暮れてしまいました。そこでイメージしたのがジェームス・チャンスという人です。サックスプレイヤーとしてその友人以外に思い浮かぶ人間がこの人で、だからと言って特に何かを知ってる訳でもなく、「No New York」というコンピレーションアルバムの冒頭をメチャクチャなサックスのブロウとシャウト(とダンス)で飾る人です。竹田の屋上プレイはこのイメージで描きました。伝わらねーだろうなー、という無力感でこんな記事を書いています。
(james Chance & The Contortions – Dish It Out)
あと、サックスを描くためにネットで画像を検索したのですが、「どんな悪魔的な人間が作ったのか」と思うくらい複雑な作りで、どれだけ画像を見ても構造を理解できまでんでした。一体どんなからくりであんな音を出せるんだ? どこまで音階を調節できるんだ? そんな感じで混乱しながら、いつもの美容室に散髪に行くとマンガ「Blue Giant」が置いてあるではありませんか。主人公がサックスプレイヤーでジャズのマンガです。「うおお、最悪このマンガのサックスシーンをパクるしかねぇ」とサイドを刈り上げられながら思いましたが、よく見るとこのマンガでもサックスの複雑な構造は幾分省略(ごまかし)して描いてあるように見えました。マンガにはそういった「ごまかし(省略)とはったり(誇張)」の文化というものがあります。僕も「ああ、そこらへんは雰囲気でいいじゃん」と開き直ってあのシーンを描きました。
サックスをやたらと「ビービー」とブロウするのは下品と言われるみたいですが、僕が人生で数回目撃した公園とか河原でラッパを吹いてるおじさんは、周囲の視線はお構い無しに(見過ごした何かを取り戻すように)吹き散らしていたので、ジェームス・チャンスのようなブチ切れ感が出ればと思っていました。
最近はガボガボとビールを飲みながら次のマンガの作業を地味に進めているので、また形になれば嬉しいねえ。
予備知識ゼロで「月曜日の友達」というマンガを読んだのだけれど、鳥肌が立った。絵も話もこんなレベルでやってるんか!て衝撃。背景の書き込みの濃度がすごい。あそこまで描く絵はおそらく「くどい」レベルなのだけれど、この作品ではギリでその線を回避している。ひとつは人物をいわゆるマンガ描写にしていて、主人公を始め人間の絵を単純な記号(マンガ)的描写に落とし込んでいるので、基本的な視線がブレない(かつジブリ映画ぐらい生き生きと動く)。そしてもう一つは、その中で背景の描写がやたらと精密なのだけれど、昨今の写真をそのままトレースしたり画像加工したような絵ではなく、あくまで「マンガ」の絵で描いているから、その二つが違和感なく調和して眼に映る。そして、そういう絵柄だからこそ、主人公の心情に迫って行くシーンでの効果的な描写(硬い文章&空想的な絵)がすんなりとハマる。
この完成度は、いわゆる「マンガ」表現を煮詰めた先の一滴だと思う。並べるなら、こうの史代の「この世界の片隅へ」や高野文子の「黄色い本」と同類の濃度というか熱さというかヤバさだ。正直スゲー、スゲー。作者の別の作品も探すぜ。「負けねーぜ」とか強がり言う前に一読者として素直にスゲー。